2012年12月19日水曜日

わが必需品


北の安曇野渓流会  理事 ● 春日規克


子どもの頃,まるい食卓の向こうで祖父がいつも食後に使っていた爪楊枝.子どもの目からそれがかっこよい大人の仕草に見え,ときどき真似をしていました.すると母親から,「子どものくせに!」と,たしなめられたものです. 「子どものくせに爪楊枝など必要ないでしょう」という意味だったのだが,当時は「子どものくせに生意気な真似をして」と言われたと思い,その真似を繰り返したものでした.
大学生の時には,父親が爪楊枝を使っている姿がなんとも年寄り臭く思えてならなかっとものでしたが,今やその爪楊枝が食事後の必需品になってしまいました.釣行時のコンビニ弁当に爪楊枝がついていないときは,胸ポケットからナイフを出し,使い終えた割り箸を削ってシーシー(?)すので,同行者から,「また何か彫っているのか」とからかわれたりするものです.
 彫魚と言う造語を使っている永井秀一氏の彫刻集には,骨身になった鱸(すずき)の木彫りが載っています.「これは面白い」と真似をしてあまごで作ってみると,骨を彫ることは難しく,縫い針を曲げ差し込むなどでごまかしてしまいました(「バチャは幻聴,デカッは幻視」で紹介).何となく納得できないなぁーと,あまった縫い針で犬歯と小臼歯の間の食べかすをシーシーしていて,思わず歯肉に突き刺してしまった.そこで,ひらめいたのが爪楊枝立てです.
ただ痛い思いだけでは終わらせない,わたしってなんて賢いんだー(*^^)v